下村海南の『終戦秘史』は、一九四五年(昭和二十年)八月、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦に至るまでの「日本の一番長い日」といわれる日々の息詰まる動きを、当時の情報相だった下村自身が終戦直後に描いた第一級のドキュメンタリーです。
二〇一四年九月に公表された「昭和天皇実録」においても、焦点のひとつとなっている終戦過程の人間ドラマが、記録と記憶とに基づき迫真の筆致で描かれています。
戦況が日々に悪化し、日本本土各地への空襲が相次ぐ中、枢密院議長だった鈴木貫太郎に組閣の大命が降下します。軍部の抗戦論が激しい中、如何にして終戦に持っていくのかが鈴木内閣の暗黙の目的でした。連合国側から降伏を求めるポツダム宣言が発せられ、広島、長崎に原子爆弾が投下されて、いよいよ後がない緊迫した状況となりました。
連日、夜を徹して最高戦争指導会議、閣議が交互に開かれます。阿南陸相らは依然として抗戦論を説き、東郷外相や米内海相らはポツダム宣言受諾論を主張し、膠着状態となりました。鈴木首相は、異例のことながら天皇陛下の聖断を仰ぐべく、八月九日夜半第二回最高戦争指導会議が開かれました。そこで陛下は、「大東亜戦は予定と実際との間に相違がある」「本土決戦といっても防備に見るべきものがない」「このままでは日本民族も日本も滅びてしまう」「忍びがたきを忍び、万世のために平和の道を開きたい」とのお言葉を述べられ、こうして、天皇の国家統治の大権は変更しないことを唯一の条件としてポツダム宣言受諾する旨の通告をすることとなりました。
その伝達、公表を巡る混乱もありましたが、更に、通告に対する四国回答が来たのち、「国体護持」の可否についての解釈をめぐってまた激論となりました。そこでまことに異例のことながら二度めの聖断を仰ぎ、決することとなりました。八月十四日午前のことです。天皇陛下は、「先方は相当好意を持っているものと解釈する。私は疑いたくない」「要は国民全体の信念と覚悟の問題だから、受諾してよろしいと考える」「自分はどうなろうとも、万民の生命を助けたい」「種子が残りさえすれば復興の光明は開ける」「自分がすべきことであれば何でもいとわない。マイクの前に立って国民に呼びかけもする」と述べられます。
こうして最終的に、ボツダム宣言受諾が決まります。しかし、軍部内ではこれに反発する中堅将校が中心となってクーデターを起こし、近衛部隊の師団長を殺害して、宮城内を占拠します。これがいわゆる八・一五クーデター事件です。国民に直接呼びかけるために天皇自らが読み上げた詔勅を録音したレコード盤の奪取のため、反乱軍は血眼になって探し回ります。最終的には、このクーデターは鎮圧され、玉音放送によって終戦を迎えましたが、そこに至るまでには、数多くの偶然と僥倖、そして鈴木貫太郎首相をはじめとした人々の身命を賭した尋常ならぬ努力と犠牲とがあったのでした。
筆者の下村海南は、占領軍総司令官だったマッカーサー元帥が、昭和二十年十月十六日に全世界にむけ放送した中の「歴史上、戦時平時をとわず、我が軍によると、他のいかなる国によるとにかかわらず、かくも迅速に、かつ円滑に実施された復員の他にありしことを知らない。約七百万人の軍人が武器を捨てるにあたり、戦史上空前のことであるが、一回の発砲すら必要とせず、一滴の連合軍兵士の血を流さずに済んだのである。」
との言を引き、「無血終戦」の奇跡を述べていますが、他方で、「「無血終戦」はなぜにより早く実現し得ざりしか、またしなかったかという質問に答える。一日、いな一時ずつ遅れてもどれだけ災害が深刻となりしか、同時に一日、いな一時ずつ早くなればそれだけ軍部との摩擦がいかに烈しくなるべきかという現実の真相を説明するものに『終戦秘史』がある。」としています。本書を読めば、その意味するところを深く理解し、数多くの偶然と僥倖、鈴木貫太郎首相をはじめとした人々の身命を賭した尋常ならぬ努力と犠牲の上に「無血終戦」があったことをひしひしと実感することでしょう。そして、今ではほとんど認識されなくなっている事実について、驚きを以て再認識する点が少なからずあると思います。
「昭和天皇実録」が四半世紀の作業の末にまとまり、公表されたこの機会に、じっくりと読み込みたい、文字通りの超一級の実録です。
なお、本書を抜粋して読みあげた朗読オーディオブックを、響林社より販売しています(「第二十四章 ポツダム宣言の閣議」より「第四十六章 ついに血を見ず・・・マ元帥厚木着陸」」まで。CDのほか、mp3版をiTunes-store、Febe等で分割で刊行中)。
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