【解説】
漱石は、明治42年(1909年)に当時の満州と朝鮮とを訪問しています。これは、大学時代からの親友、中村是公が、日露戦争後に設立された南満州鉄道株式会社の総裁を務めていたことから、その誘いで訪れたものです。日露戦争の講和の中で敷設を認められた満鉄は、大連が起点となりましたが、漱石は、大連での都市計画、沿線での炭坑開発等、満州開発の息吹をひしひしと感じています。この時の訪問の長文の紀行文が「満韓ところどころ」です。
上巻では、大連に着いて要所で働いている学生時代からの旧知の友と再会し、大連の町の造成や工場の活気などについて描いていますが、この下巻では、日露戦争の激戦地、旅順を訪れたときのことがまず書かれています。訪問当時は戦争終結からまだ5年も経っていませんから、案内をしてくれた人の従軍時の回顧や203高地や旅順港などの激戦地の戦跡も生々しいものでした。その後、奉天から撫順に移動し、巨大な撫順炭坑の地下坑を見学したところで、年末をなり新聞連載は終了しました。
どこに行っても、相手方が好意で馳走を用意してくれるものの、持病の胃病のせいで苦悶し、各地の見学にも行けずに宿屋で安静にしているという場面も随所に出てきます。
また、大連では新聞社から突然講演を頼まれ、辟易しながらも適宜話したということも描かれています。
その講演については、響林社より、kindle電子書籍で「漱石の満韓紀行」とともに、「【朗読CD】まぼろしの大連講演 (附 満韓所感)」を発行しています。。
【朗読】大志田瞬(新AI合成音声)
2022年に開発された最新のAI技術による合成音声で、ナレーターの肉声に極めて近い自然な読み上げになっています。
なお、 上巻は、別の合成音声の「響林せいじ」による読み上げとなっています。