【解説】
太宰の故郷、津軽を想う気持ちには切々たるものがある。「思い出」「故郷」「兄たち」から「津軽」に至るまで、それぞれの作品の中で描かれているが、「帰去来」もその一つである。津軽から東京に出てきた以降、芸妓上がりの女性との同棲、共産党の地下活動、心中未遂、モルヒネ中毒などの荒れた東京帝大時代を経て、作品集の出版、結婚、作家としての独り立ちをした後の安定した時期(1943年)に発表されている。津島家を支える長兄の怒りを買い、故郷からは義絶状態だったが、母の健康状態が不安となっていたため、ずっと内々で面倒を見てもらってきた北さん、中畑さんと実家の人々との阿吽の呼吸で、急遽帰郷を果たすことになった。10年ぶりに故郷の土を踏んだ。長兄不在の合間を見計らっての帰郷だったが、墓参り、懐かしい母と叔母、祖母、次兄、姉らとの再会を無事果たすことができた。短時間の滞在だったが、皆があたたかく迎えてくれた・・・。これで、母危篤の際に実家を訪ねる素地もできた(実際そうなった時の様子は「故郷」に描かれている)。
「逆行」は4つの掌編から成る(1935年発表)。そのうちの「盗賊」は芥川賞候補となった当時としては異色の作品であった。
「自信の無さ」は、朝日新聞の文芸批評で新進作家の作品の自信の無さを指摘され、一例に太宰の作品が挙げられたことへの静かな抗弁。結果的に太宰の指摘は当たることになる(1940年のもの)。