【解説】
芥川が大阪毎日新聞社の命を受け、大正10年3月下旬から同年7月上旬に至る120余日の間に上海、南京、九江、漢口、長沙、洛陽、北京、大同、天津等を遍歴した際の観察をまとめた『支那游記』のうちの、最初の訪問地である上海の見聞録と長江遡行記が「上海游記」「長江游記」である。芥川は、『支那游記』を、自らのジャーナリスト的才能が電光のように閃いていると自負している。
観察は、政治、経済、文化、風俗等と多岐にわたるが、訪問当時は、1911年に中華民国ができて10年目であり、上海はフランス租界など西洋と東洋とが交錯する場所で、新旧の人物、文化が共存していた。政治、文化等の分野の主要人物や、女傑や妓館の女たちの話など、興味深い。長江の遡行は当時は必ずしもいい印象ではなかったが、東京で回想すると汪洋たる長江を、そして蕪湖、漢口、廬山の松を、洞庭の波を懐しがっている自分を見つける。