谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」(響林社文庫)

外部ページURL

【解説】
『陰翳礼讃』は、谷崎潤一郎の名随筆として知られる。
「まだ電灯がなかった時代の今日と違った美の感覚を論じたもの。こうした時代西洋では可能な限り部屋を明るくし、陰翳を消す事に執着したが、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の芸術の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたって陰翳の考察がなされている。」(ウィキペディアより)
「もう数年前、いつぞや東京の客を案内して島原のスミヤで遊んだ折に、一度忘れられないある闇を見た覚えがある。何でもそれは、後に火事で焼けうせた松の間とか云う広い座敷であったが、僅かな燭台の灯で照らされた廣間の暗さは、小座敷の暗さと 濃さが違う。ちょうど私がその部屋へ入って行った時、眉を落して鉄漿を附けている年増の仲居が、大きな衝立の前に燭台を据えて畏まっていたが、畳二畳ばかりの明るい世界を限っているその衝立の後方には、天井から落ちかかりそうな、高い、濃い、ただひと色の闇が垂れていて、覚束ない蝋燭の灯がその厚みを穿つことが出来ずに、黒い壁に行き当ったように撥ね返されているのであった。諸君はこう云う「灯に照らされた闇」の色を見たことがあるか。それは夜道の闇などとは何処か違った物質であって、たとえばひと粒ひと粒が虹色のかがやきを持った、細かい灰に似た微粒子が 充満しているもののように見えた。私はそれが眼の中へ入り込みはしないかと思って、覚えず瞼をしばだたいた。今日では一般に座敷の面積を狭くすることが流行り、十畳 八畳 六畳と云うような小間を建てるので、仮に蝋燭を点じても かかる闇の色は見られないが、昔の御殿や妓楼などでは、天井を高く、廊下を広く取り、何十畳敷きと云う大きな部屋を仕切るのが普通であったとすると、その屋内にはいつもこう云う闇が狭霧の如く立ちこめていたのであろう。」(本文より)

【お薦め】
 別途、響林社より、肉声をもとにした自然な高性能合成音声により朗読したものを、CDやネット配信により販売しています。