【復刻版】スメドレー「女一人大地を行く(上)」(尾崎秀実訳)

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内容紹介
【復刻版の原本】
この電子書籍は、以下の書籍の版面を複写し、シミ、ヤケ、活字のかすれ等をできるかぎり修正し、読みやすくした復刻版です(版面固定型)。

アグネス・スメドレー(尾崎秀実訳)「女一人大地を行く」(角川文庫 昭和37年6月10日発行)
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【解説】
本書は、スメドレー女史が、1929年に発刊した初めての自伝小説。

以下、ウィキペディアより。
「アグネス・スメドレー(Agnes Smedley, 1892年2月23日 – 1950年5月6日)はアメリカ合衆国のジャーナリスト。中国大陸の近代事情、特に中国共産党に関する著作で知られる。第一次世界大戦においてはインドの英国からの独立のためドイツ政府からの経済援助を受けながら合衆国内で活動し、世界革命論を促進するコミンテルンのために共に長期間活動している。ソ連崩壊後にコミンテルンの工作員であったことが判明。」
「女性の人権に始まり、インド独立運動、避妊、中国大陸における共産主義革命に至る様々なテーマについて関心を有していた。スメドレーは合計8冊の著作をなしている。これ以外にも、“アジア”、“ニュー・リパブリック(英語版)”、“ネーション(英語版)”、“ヴォーグ”、“ライフ”などの雑誌に記事を投稿している。スメドレーに関するウェブサイトによると、“子供のころに味わった貧しさが彼女を女性、子供、農民など抑圧された者の代弁者へと駆り立てた”とある。」
「スメドレーは1892年にミズーリ州のオスグッドで農家の5人兄妹の1人として生まれた。10歳の頃コロラド州へ移り、学校へと通いながら家計を助けるために働いていた。彼女は正規の教育を受ける機会はなかったが、学習に対する興味は失わなかった。1911年から1912年にかけて、スメドレーはアリゾナ州テンピの師範学校で特待生として学んだ。学内では学生新聞の編集を行っている。

その後、スメドレーはアーネスト・ブラディンと結婚し、カリフォルニア州へと移住した。この地で社会主義の思想に触れた彼女は、6年後に離婚するとニューヨークへと向かった。ニューヨークではマーガレット・サンガーと共にBirth Control Review誌で働いている。インド人の共産主義者ヴォレンドラナート・チャットパディアと関係を深めると、彼とともにドイツへ渡った。1929年には初の自伝を書き上げている。

チャットパディアと別れたスメドレーは次なる興味の目標を中国大陸へと定め中華民国の上海へ向かった(中略)スメドレーは1930年代に始まった国共内戦と日中戦争の取材を行い、記事をフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングやマンチェスター・ガーディアン紙などへ投稿した。中国共産党傘下の八路軍へ密着した取材などで詳細なレポートを表している。1937年には戦場の第一線の取材を離れ、医薬品の供給や総括記事の執筆などを、1938年から1941年にかけては国民党と共産党双方の上層部の取材を行っている。このような精力的な活動は中国大陸での戦争を取材する外国人記者としては飛び抜けたものであった。

その後アメリカに戻り、第二次世界大戦及び国共内戦における中国共産党への援助に関する活動に従事している。」